【甲子園―100回目の夏⑥】爽やかに散った都立の雄・小山台

目標は「甲子園に出て勝つこと」だったという。酷暑の中で繰り広げられた地方大会の大詰め、東東京大会決勝で「都立の雄」小山台は3-6で二松学舎大付に敗れた。互角に戦ったが、わずかの差が明暗を分けた。5回二死満塁で小山台のエース、戸谷投手は三振を奪ったが、これが振り逃げとなり1点を献上、そして逆転された。

今大会の小山台の立ち位置を確認したい。関東一、帝京と並ぶ堂々の第1シード校。「21世紀枠」で春の甲子園に出場した2014年の夏からベスト8、ベスト8、ベスト16、ベスト16と最近の実績も十分。戦力充実の今年は、強豪私学に引けを取らない実力校として認められていた。部員91人の大所帯だが、チームワークは抜群。紛れもない優勝候補の一角だった。

3回戦から登場し、順当に勝ち上がった。準々決勝で安田学園との延長の死闘を制し、準決勝は14、15年にともに準々決勝で完敗した帝京が相手だった。戸谷投手は130キロ台のストレートを低めに集めて好投、二遊間の守りも鉄壁だった。打っては足を絡めた攻撃で中盤に7点を奪った。夏の甲子園で2度の全国制覇を誇る帝京を投打に上回り、7-2で快勝した。

小山台は1923年に東京府立八中として創立され、「国公立大・難関私大への進学を目標」(同校ホームページより)とする学校だ。野球班(部ではなく班と呼ぶそうだ)は、都立八高の校名だった1949年大会以来、69年ぶり2度目の決勝進出を果たした。三塁側の応援席はもとより、バックネット裏にかけては小山台を応援するファンが圧倒的に多かった。神宮球場に駆けつけた熟年OBが大きな声で校歌を歌う姿も見られた。

小山台は62歳の福嶋正信監督が05年に監督となってから強くなった。長らく都立高で野球部の強化に努め、01年夏には江戸川を東東京大会ベスト4に導いた実績を持つ指導者だ。定時制があるため、午後5時には完全下校となる小山台。練習時間は1時間半。さらにグラウンドも狭く、他部との共用。そんな悪条件の中でも創意工夫し、集中力を磨いた。同監督は「目標は甲子園に出場して1勝すること。どんな強豪でも勇気と知力を持って挑む」と全国を視野に入れてきた。

台風一過、蒸し暑さの戻った7月29日の神宮球場。日曜日の開催、しかも都立高の決勝戦進出とあって外野席を開放してもどんどん人が増え、ほぼ満員となる2万6000人で膨らんだ。小山台は4回に吉田選手のタイムリーで3-1として優位に試合を進めたが、二松学舎大付の活発な打線にこの夏ほぼ一人でマウンドを守ってきた戸谷投手が抗しきれず、逆転された。3点を追う8回、小山台が連打で無死一、二塁と反撃に出たところでスタンド全体が異様な盛り上がりを見せたが、後続が凡退した。

これまで都立高が夏の甲子園大会に出場したのは、第62回大会(1980年)の国立、第81回大会(99年)と第83回大会(2001年)の城東、第85回大会(03年)の雪谷の4回だけで、いずれも初戦で敗退している。「新しい歴史をつくりたい」という小山台の監督、選手共通の願いは達成できなかった。それでもすべてを出し切った戸谷投手の試合後の晴れやかな笑顔が印象に残る。練習環境が良くなくても、鍛える時間が短くても、工夫次第でこんなに強くなれる。全国の球児が甲子園を目指した100回目の夏、強豪ひしめく東東京大会で「都立の優勝候補」は確かな足跡を残し、爽やかに散った。

【筆者略歴】

後藤英文(ごとう・ひでふみ) スポーツジャーナリスト。共同通信では初代スポーツ専門特派員としてニューヨークで勤務。MLBワールドシリーズやW杯サッカー、NFLスーパーボウルのほか夏冬の五輪などを取材。元びわこ成蹊スポーツ大学教授。


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準々決勝の結果(10月24日開催)

浦和レッズ 2-0 サガン鳥栖 鹿島アントラーズ  - ※11月21日開催 ヴァンフォーレ甲府 ジュビロ磐田 1-1 (PK:3-4) ベガルタ仙台 川崎フロンターレ 2-3 モンテディオ山形  

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