【甲子園―100回目の夏⑤】アイドルの系譜 「殿下」から「ハンカチ王子」へ

 高校野球のスター選手の存在が社会現象となり、アイドルの名が冠せられたのは第51回大会(1969年)の三沢(青森)のエース、太田幸司投手が初めてといわれる。「元祖甲子園アイドル」である。その太田さんがこの夏、第100回記念大会決勝の始球式に登板する。往年のファンには、何よりのプレゼントだろう。

 68年夏の第50回大会で初めてマウンドに立ち、翌春にも甲子園の土を踏んだ。このあたりから熱心な高校野球ウオッチャーは、色白の美少年に注目した。そして、第51回大会で勝ち進むうちに宿舎に押し掛ける女性ファンの数が増え、決勝の延長18回引き分け再試合で「コーちゃん」人気は頂点に達した。

 準優勝に終わった大会後もフィーバーは続き、ファンレターは「青森県 太田幸司様」で届いたという逸話が残っている。秋になっても人気は衰えず、プロ野球・ドラフト会議での去就が話題となり、近鉄(当時)が1位で指名した。オーナーをはじめ球団を挙げての物々しい対応に、報道陣からは「殿下」の呼び名が付けられ、教育係となった捕手も「侍従長」と呼ばれることになった。新人から3年続けてファン投票1位でオールスター戦に選ばれた。

 島本講平投手(和歌山・箕島)、定岡正二投手(鹿児島・鹿児島実)がこのアイドル投手の系譜を引き継ぎ、次に登場したのが第59回大会(77年)の坂本佳一投手(愛知・東邦)である。あどけなさの残る1年生がチームの快進撃を支えた。細長い首で懸命に投げ続けたことから「バンビ」の愛称が付いた。決勝の延長10回にサヨナラ3点本塁打を打たれて甲子園を去り、2度と大舞台に帰ってくることはなかった。

 続いて人気を一身に集めたのが、「大ちゃん」こと荒木大輔投手(東京・早稲田実)。第62回大会(80年)で、坂本投手と同じように1年生エースとして準優勝を果たした。その後、先輩アイドルとは全く逆の道をたどり、3年生まで春夏すべての甲子園に出場した。だが、最高成績はベスト8で、最後の夏も優勝した池田(徳島)に行く手を阻まれた。女性ファンとメディアに追い掛けられた3年間を経て、ドラフト1位でヤクルトに入団した。フィーバーぶりは、そのころ生まれた男の子の名前のトップを「大輔」が86年までキープしたことからもうかがえる。98年に春夏連覇投手となった「平成の怪物」こと松坂大輔投手もその一人だった。

 最近では、第88回大会(2006年)で早稲田実を初の全国制覇に導いた斎藤佑樹投手。甘いルックスで、きちんと折りたたんだ青いハンカチで汗をぬぐうマウンド上の姿が印象的だった。「佑ちゃん」はいつしか「ハンカチ王子」と呼ばれるようになり、一躍全国区となった。大学かプロ入りかで大いに騒がれ、早大に進学。注目度は抜群で、東京六大学野球の人気復活にも一役買った。本人の使っていたハンカチはいったん製造を終えたが、問い合わせのあまりの多さに再発売されたほどだった。

 このほか実力と人気を兼ね備えた甲子園のスター選手としては、「怪物」と呼ばれた江川卓投手(栃木・作新学院)や原辰徳選手(神奈川・東海大相模)、PL学園(大阪)の「KKコンビ」桑田真澄投手と清原和博選手、5連続敬遠で話題となった松井秀喜選手(石川・星稜)らがいる。

 高校野球ファン一人ひとりに、それぞれのアイドルがいる。100回目の夏は、さて―。

【筆者略歴】

後藤英文(ごとう・ひでふみ) スポーツジャーナリスト。共同通信では初代スポーツ専門特派員としてニューヨークで勤務。MLBワールドシリーズやW杯サッカー、NFLスーパーボウルのほか夏冬の五輪などを取材。元びわこ成蹊スポーツ大学教授。


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