【コラム】厳しい世界での勝負選んだ羽生結弦選手

 冬季五輪フィギュアスケート男子で66年ぶりの2連覇を果たした羽生結弦選手(ANA)のパレードが4月下旬に地元の仙台市で行われ、10万人を超える人が集まった。夏のような暑い日だったが、ファンは笑顔で手を振って偉業達成を祝福し、羽生選手も金メダルを掲げ、フリー演技での決めポーズで応えていた。テレビの生中継を見たが、いかに彼が愛されたスケーターであり、東日本大震災の復興に勇気を与える存在であるかということがよく分かった。こちらも幸せな気分にしばし浸ることができた。

 昨年11月の右足首靱帯損傷から奇跡的な復活を果たし、見事な演技で金メダルを獲得した経緯はいまさら説明の必要もないが、それを支えたのは羽生選手のフィギュアスケーターとしての強い信念と意志の力だろう。「絶対王者」を目指す、高い理想と自負が突き動かしているといえる。

 五輪連覇で、本来なら「現役引退」ということが頭をよぎってもおかしくない。フィギュアスケートは五輪や世界選手権でしのぎを削るよりも、プロスケーターとしてアイスショーに出る方がよほど精神的にも楽である。プレッシャーのかかり具合が全く違う。ましてや“五輪2連覇”の箔が付けば「客を呼べるスケーター」としてショービジネスの世界で引っ張りだこになるのは言うまでもない。女子では、オクサナ・バイウル選手(ウクライナ)、タラ・リピンスキー選手(米国)といった10代の五輪チャンピオンが、その価値を生かしてさっさとプロに転向している。羽生選手がプロになっても何ら問題はなかったのだ。

 ところが、彼は厳しい勝負の世界にとどまった。そして技術的にも、さらに高みを目指すことに決めた。23歳の次の目標は世界初の「4回転半ジャンプ」である。アクセルは6種類のジャンプの中でただ一つ前向きに踏み切るため、半回転多い。ちなみに最初に跳んだのがアクセル・パウルゼンというノルウェーの選手で、その名前がジャンプに付けられた。1回転半のシングルアクセルから、ダブル、トリプルときて4回転半はクアドラプルアクセルということになる。残念ながら表記が長いのでメディアは嫌いそうだ。短くしてクアドもしくはクワッドアクセルとするか、そのまま4回転半ジャンプと書くか…。

 話がそれたついでにジャンプ挑戦史をひもといてみたい。2回転ジャンプを世界で初めて跳んだのは1925年のカール・シェーファー選手(オーストリア)で、3回転はリチャード・バットン選手(米国)が1952年に成功させた(このバットン選手は羽生選手の前の五輪連覇者)。26年後の1978年にバーン・テイラー選手(カナダ)がトリプルアクセルを決め、1988年にカート・ブラウニング選手(カナダ)が初めて4回転ジャンプを世界選手権で成功させた。

 羽生選手が今年中に4回転半ジャンプに成功すれば、30年ぶりに半回転、40年ぶりに1回転追加ということになる。ユーチューブには、かつて遊び半分で4回転半にチャレンジした映像もある。ほぼ4回転半を回り、惜しくも着氷で転倒している。

 案外あっさり成功させるかもしれない。ただ、焦りは禁物だし、4回転半ジャンプに成功しても演技全体が十分な出来でなければ、完璧を目指す本人も納得はしないだろう。まずは右足首の故障をしっかりと治し、平昌五輪での激闘の疲れを十分取り除くことだ。万全の体調に戻せば、結果は自然についてくる。

【筆者略歴】

後藤英文(ごとう・ひでふみ) スポーツジャーナリスト。共同通信では初代スポーツ専門特派員としてニューヨークで勤務。MLBワールドシリーズやW杯サッカー、NFLスーパーボウルのほか夏冬の五輪などを取材。元びわこ成蹊スポーツ大学教授。


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